見る間に光が遠くなる。

 

海水が腹の傷を容赦なく抉り、水圧で体が押し潰される気がした。

 

自分の命の残量を表すがごとく、気泡が上へ上へと昇っていく。

 

 

目の前で揺らめく赤の帳は、自分の血に違いない。

 

 

あのむかつく顔が脳裏をよぎった。

 

強者が弱者を守るなんて絵空事を振りかざすうつけ者。それが本当に実行されることなんてない。

 

最後の長曾我部の言葉がまだ響いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺は俺を信じてついてきた野郎どもを守る!これ以上傷つけさせねぇっ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――おいで。』

 

 

父も母も根っからの海の人間だった。

 

『空と海の境が見えんだろ?』

 

波音を子守唄に、船を揺りかごに育ってきた。

あたしにとっての地上というものは海で、土など踏んだこともなく、その匂いを嗅いだこともなかった。

あたしの世界は空と海、そして船とその船員たちだけ。

 

他に何か欲しいと思ったことはなかった。

守られ、可愛がられ、全てが愛おしく思えた黄金時代。

 

『あのさきずーっと行くと何があると思う?』

 

『海じゃないの?』

 

『ちげーよ。向こうは陸地だ。

いつかあっちまで行って、やつらをたまげさせてやろうな。』

 

『やつらって〜?』

 

『何言ってんのあんた。−−に変なこと吹き込むんじゃないよ。』

 

とてもきれいとは言えない手は、アタシをなでるときだけは優しかったっけな。

 

叱られて殴られることもしばしばあったが、それ以上に両親が好きだった。

 

その頃の愚かなあたしは、ずっとそんな日々が続くとばかり思っていた。

人が海のように不変でいられるはずがないのに。

 

 

 

瀬戸内でも有力な海賊の団長だった親たちには、多くの敵がいた。

 

 

 

常日頃からいざこざは絶えなくて、そういうとき子供のあたしは船室に籠って貝殻や珊瑚を並べて遊んでいた。

 

 

 

 

『いいって言うまで絶対出てくんなよ。いいな?』

 

『すぐ終わるから。』

 

 

 

 

その日もいつもの

 

 

 

 

 

『母さん、父さ』

次に部屋に現われたのは見たこともない、大柄な男たち。

今考えればうちの団員もいた。密通されていたのだあの船は。

 

二人に守られていたのに。

 

恐怖に慄き、抵抗する術も持たなかったその子供は、ニタニタと気色悪い笑みを浮かべた下郎どもに引きずられた。

 

間違いなくそいつだけ生かすつもりだったに違いない。自分たちの欲求を満たすために、金髪の少女という物珍しい品に目をつけていた。

 

甲板に引き倒され、その先にあったのは

 

 

 

 

 

目の前にあったのは辛うじて人間と分かる、抱きしめあう肉塊。

 

 

 

守ってもらえなくなった。

 

 

 

 

 

凌辱され、貶められ、家畜にも劣る扱いを受ける。

高価な着物や簪、白粉などを塗りたくられ、着物を引き裂かれ、体中に細かな痣を作られ、声を枯らす毎日。

 

『いやっ・・・』

 

褥の中で怒りと恥辱と悲嘆がないまぜになり、無力を呪った。

力がないから、力が無いから。

弱者は強者に押さえつけられる。拒否する権利もない。口答えすら許されない。

 

 

 

海を見る機会はなくなった。

 

 

 

そうして殺されていく女や少女を何人も見た。脱出を試みて、後ろから斬られるのを幾度も見た。

同じ年頃の子供たちは、疲れ果て感情を無くす者もいた。別に仲良くなろうとも思わない。

その中には少年もいたし、言えば容姿が良ければなんでもいいらしい。

 

あたしは負け犬みたく、飼い慣らされるつもりはない。

例え犬のように扱われようとも、牙を剥く術を奪えはしないのだから。

 

だから力で示そう。

 

自分に与えられた以上の屈辱を与え、絶望の中で命を絶つ。

そして周りに示さなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は弱者にあらず

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霜月のこと――

少女の手には包丁が握られていた。甲板は騒がしく罵声や剣戟の響きが聞こえる。

 

軋み声を上げる扉の向こうはまさに地獄絵図だった。

飛び散る血潮。積み重なる屍。

 

包丁の重みによろめきながら、進む。不思議と掠り傷すらつかなかった。

 

目的の人物はもう目の前。斬りつけられた敵が血飛沫を派手に散らしながら倒れた時、男と目があった。

 

 

うっとうしそうな視線と冷めた視線が交錯。

 

 

叩き斬り、臓物を引きずり出し、踏みつけ、唾を吐きかける。

顔も着物も赤黒く染まる。

少女は周りで戦が中断されたのに気付かなかった。ただただ憑かれたようにその凶行を続ける。

その常軌を逸した行動に空嘔をする者も少なくない。

その姿はまさに羅刹。

 

原形を留めぬほどに斬り裂かれた男。

少女はゆらりと立ち上がり、魅入られたようにその刃を見つめた。

そしておもむろに舐めた。

 

『次はだあれ?』

 

柔らかな笑顔を浮かべた無邪気な少女。血に染まりし鬼の子。見境なく嬲り殺す羅刹。

 

栄華を誇った二つの海賊団は、一人の少女によってほぼ壊滅状態に追い込まれた。

 

そのとき見た海は紅い太陽を抱きかかえ、陳腐な表現になるが

 

 

悲しいほどに美しかった。

 

 

弱い者は虐げられ苦しむのが世の常。守ってやろうとも、最後には守る自分すらも巻き込まれる。

だったらそうなる前に殺してやればいい。

あたしは間違ってなんかない。間違ってなんか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

痛みがなくなった。口から最後の気泡が零れ出す。

 

血霞もこれで最後か。

 

水面下から見た太陽が幾度も瞬いた気がした。

 

 

 

何故か『殺』よりも前に書き終わっていました←

っていうか『殺』は下書きがな(殴