門兵の交代の時間だ
太陽は真上。ちょうど昼時である
門から少し離れた茂みの陰に、ここにいないはずの人物が一人
小さな体は身を隠すのにうってつけらしく、地味な色の着物も手伝って、兵達に全く気付かれていない
梵天丸は息を殺してその時を待つ
しばらく雑談をしていた男達が、恐らく昼餉のために連れ立って持ち場を離れ始めた
ここしばらく観察していたのを総合的に考えると、城下へ出れるだけの少しの時間だけなら門には誰もいなくなる
完全に門兵が見えなくなるのを確認すると、梵天丸はさらに用心深く辺りに人気がないのを確認した
立ち上がり、玉砂利を踏みしめて一歩
すると着物に枝が引っ掛かっていたのか、何かが折れる音が響いた
自分以外は誰一人いないこの場に、嫌に大きくその音が響いて梵天丸はビクリと身を引いた
恐る恐る城の方を振り向いたが、誰かが来る様子はない
これくらいの音があっちまで聞こえるはずがないではないか
無駄に気を張っている自分が馬鹿らしく思えて、梵天丸は一歩、また一歩と踏み出し、大胆にも門に向って駆けだした
あと少しで自分が見たことも、触れたこともない世界に行ける
そう思うと胸が高鳴ったが、幸運はそう長く続かなかった
あと数歩、そのとき聞きなれた声が耳を捕らえた
「・・・若様?」
梵天丸は最後の最後に手を離してしまった女神を呪った
「若様、城から出てはいけないと、旦那様からよくよく言いつけられていたではありませんか」
の呆れたような声にも、梵天丸は膝を抱えてそっぽを向いたまま、無言という返事を返すのみだ
二人がいるのはの自室である
といっても女中は基本相部屋なので、この部屋は五人が共通して使っている
さすがに五人は狭いのだが、寝るとき以外に部屋で特別何かをすると言ったことがないので問題はない
は深くため息をついて、小さな背中を見た
梵天丸が城下に出たいと言ったのを聞いたわけではないが、城主たる輝宗は僅かながら悟っていたらしい
だからこそ二人っきりで話さなかったのだろうし、梵天丸の性分を考えれば合点がいく
彼は一国の城主の嫡子とは思えないほど、実に行動的なのだから
しかしながら門兵たちの行動を、毎日観察してまで城下に行こうとする理由が分からない
「若様、これ以上小言は申し上げませんから、どうか一つだけお教えください
何故城下などに行こうと思われたのですか?治安もそれほどいいとは言えませんし、城内のように手入れが行き渡っているわけでもございませんよ?」
「・・・くにをおさめるには、まず民のせいかつを知るのがいちばんだろ」
「それくらいのことならば、このでよければ答えてさしあげます」
梵天丸がゆっくりと彼女を振り向いた
目には決然とした意志が宿されている
「ひゃくぶんはいっけんにしかずって言うだろ?」
そんな目で見ないで下さい。お叱りを受けるのは私なんですから
はやれやれと言わんばかりに首を振ると、重い腰を上げ、部屋の片隅に向かった
その先にあるは鋲打ちの施された衣装箱
彼女はその前で跪くと木製の蓋を持ち上げる
梵天丸が何事かと見守っているうちに、は次々と中身を取り出す
落ち着いた色の着物を引っ張り出し、女中用の服を放り投げ、紋付き袴を丁寧に畳みなおし、刀をしげしげと見つめたのち脇に置く
ようやく目的のものを見つけたらしく、それを梵天丸の前で広げて見せた
それは一般庶民が着るような小袖で、今梵天丸が着ているものよりも明らかに安物だと思われた
が着るには明らかに小さい
「弟のものです」
「弟がいるのか?」
「いるというか・・・、いたというか。もう逢っていません」
「ようしにでも出したのか?」
「まあ、そんなところでしょう」
そんな会話を交わしながら、は手際よく着物を着せていく
最後に帯を締めると、彼女は一歩下がり満足そうに梵天丸を見た
大きさはぴったりで、梵天丸のためにあつらえたものかと思ってしまうほどだ
は微笑むと、座布団を一枚敷き、彼に座るように促すとこれからのことについて話し始めた
「いいですか、若様。あなた様を裏口から外へお出ししますので、外に出ましたら先程の門の前までお越しください
ただ、あまり近すぎると門兵にばれるやもしれませぬ。遠すぎず、近すぎず、そのくらいの距離でお待ちいただけるでしょうか?」
「分かった」
こっくりと頷いた梵天丸は、まるで戦場にでも赴くかのような表情をしていた。まだ初陣にも出てないけれど
城内が自分の世界だった梵天丸にとって、城下というのは本当に驚きの連続だった
露店にしばしば足を止め、反物屋に目を輝かせ、そして結局甘い匂いに誘われて甘味屋に入った
茶を買うだけの使いだったが、全体的に女中たちがに甘いため、小遣いが少しばかり入っていたのだ
普段ならば、こっそりと貯めてしまうところだが、物欲しそうに団子や汁粉を見られれば駄目とは言えない。おまけに相手は城主の子である
まあ、別に貯金を趣味としているわけでもないからいいが
「それにしても」
団子を飲みこんでから梵天丸が言う。こういう行儀のいいところは、やはりと言ったところか
「こんなに容易にじょうかに出られるんだな」
「若様とて人でございます。身分は違えどその容姿は民と何ら変わりはありませぬ
失礼とは存じますが、服さえ召し変えられれば、庶民の子と変わりはないのでございまする」
「そのしゃべり方やめろ」
「?」
きょとんとした表情を浮かべたに対し、茶を一口飲んでから彼は続ける
「周りにあやしがられるだろ」
「この程度の声量なれば、周りには聞こえませぬ」
実際、誰も気にしていなかった
二人の座った席には他には誰もいなかったし、他の席とは少しばかり距離がある
梵天丸は普通に話していたが、はこの口調では梵天丸の身分がバレるので、いつもより声量を落として話していた
時々の姿を見かけて声をかける者もいるが、彼女も会釈程度ですませ人を近付けないようにした
ただ一度、梵天丸の頭を乱暴に撫でた者がいて、はらはらしたこともあったが
「それじゃ、民と話せない」
「しかし・・・」
「女中たちと話すようにやれ」
命令口調ではあるが、これはお願いなのだとには分かった
全く奇妙な方だと苦笑して、団子をかじった
「うん、分かった。ただ、無礼になるかもしれないよ?」
「もうすでにぶれいだろうが」
なんだか面白くて彼女は笑い声をあげた
だってこんなことありえただろうか。一女中にすぎない自分が伊達家の嫡子にこんな馴れ馴れしく
今まで以上に満足そうな梵天丸も笑った
笑うとこんなにも愛らしいのかと驚いた
「じゃ、呼び名も変えなくちゃね。梵でも分かる人には分かるだろうし・・・
藤次郎でいい?結構ありふれた名前だと思うんだけど」
「よし、行くぞ」
いつの間にやらお勘定をすませていたらしい
どこからお金を持ってきたのかとか、そういう心配よりも代金を払わせてしまったということには慌てた
しかし、そのあともお金を受け取ってもらえず、それどころかまだあるお金を見せられて彼女はめまいがした
それからも梵天丸の好奇心は尽きることはない
の知り合いの家に上がったり、あれは何だと尋ねたり、終いには城下町から出てしまう勢いだった
さすがにそれは許されないので、変わりに幼き主は茶を買わせに行かせてくれと言った
それくらいならとも了承したが、まさか一人で行かせるわけにもいかない
彼が消えて少ししてから、彼女は梵天丸を追いかけた
雑踏の中からようやく小さな後ろ姿を見つけてほっとする。もしものことがあれば義姫様に見せる顔がない
茶屋の娘に頼み、物を受け取り、代金を支払う。さすがにこれはが渡したものである
なんだか母親にでもなった気分だとは思う
梵天丸がこちらに駆けてきたので、慌てて元の場所に戻ろうとすると怒鳴り声が耳に飛び込んだ
まさかと思い、あっという間にできた人だかりをかき分けると、尻もちをついた梵天丸と幾人かの悪人面の男がいた
ちくしょう、と心の中で毒づくしかない
周りの人間は呑気なものだ。あそこにいるのだ伊達家次期当主だとも知らずに。知られていてはなおさら困るのだけれども
前に行くほど人だかりは密集し、半ば押し出されるようにして空白の縁に躍り出る
少しばかり荒れた息を整えると、男たちがこちらを向いていた
今や梵天丸は首根っこを捕まえられて、宙でじたばたともがいている状態だ
「その薄汚い手を離しなさい!この外道が!」
はずんずんと歩みだし、浪人の前に仁王立ちになってキッと睨みつけた
後ろの男たちの顔が、見る間に怒りに染め上げられる
「小娘ぇ!!ここで会ったが百年目だ!覚悟しやがれ!!」
「まあ、待てよ」
梵天丸を吊り上げた空いている手で手下たちを宥め、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながらを見下ろした
「嬢ちゃん、別に俺たちが先に突っかかったんじゃねぇよ
こいつがぶつかってきたから礼儀ってもんを教えてやろうって思っただけだぜ?」
「へぇ、子供がぶつかってきたくらいも我慢できないんだ。なんて情けない
哀れすぎて泣けてくるわ。どういうしつけを受けてきたわけ?」
「なっ・・・!?」
「どうせあんたらが前も見ずに聞くに絶えない話でもしてたんでしょ?
藤次郎、ぶつかってきたのはあっちよね。だから言い争いになってるのよね」
「う、うむ」
いつもとあまりに違う態度に梵天丸は思わず口籠った。あの礼儀の良さはどこへ消えたのだろうか
は鼻を鳴らして言葉を続ける
「ほうら見なさい。あんたらが悪いんでしょうが」
真実を衝かれ浪人たちは口をつぐんだ
しかしそこは減らず口というか。梵天丸の襟首を掴んでいる兄貴分の男は、すぐさま噛みつくように言い返す
「ぶつかってきたのがどっちだろうが、年上に礼儀を払うってのが筋じゃねぇのか?
この前嬢ちゃんが言ってたようによ。それに管理を怠ってた嬢ちゃんにも非はあるんだぜ」
そう言われて今度はが言葉に詰まった
敬意云々はこいつらが年上だろうが払う気はないが、梵天丸たっての願いだろうと一人で買い物に行かせたことも、一瞬でも目を離したことにはに非があった
自責のあまり息を飲んで見守る周囲に押しつぶされそうだった
「は悪くないぞ」
甲高い声が上がり、ハッとして彼女は顔を上げた
梵天丸は男の手から逃れようともがきもせずに、憮然とした表情でぶら下がっている
「そもそも民にめいわくをかけるようなやからに謝る言葉などない」
梵天丸の言う通りだ
「んだとこのガキぃ!!」
ついに男たちがキレた
大きな拳を振り上げて、梵天丸の顔面めがけて振り下ろす
は咄嗟に叫ぶ
「あ、片倉様!」
「何ぃ!?」
あの強面の片倉小十郎は城下でも有名らしい。もしかしたら顔を利かせているのかもしれない
目を見開いて、梵天丸の首根っこを掴んでいる男が振り向いた
今が好機とばかりには駆け出し、失礼千万なこの男に蹴りを入れる
つまり、
急所に
普通に蹴られても痛そうな音がしたので、もしかしたら使い物にならなくなっているやもしれない
男はあまりの痛みに梵天丸を落としたが、その体をが受け止めた
そしてギッと睨みつけて一言
「次にこの方に手ぇ出したら今度こそ潰すからな!覚悟しとけ!」
「ひぃっ!」
マジだ。この場でやられかねない
悶絶している男を心配しながらその仲間たちは思わず内股になる。ついでに観客と化していた周囲の人々も、を知る知らぬに関わらず内股になる
そう吐き捨てると、目を丸くしている梵天丸を小脇に抱えて走り去った
「た、楽しかった!?」
「ああ」
ぽかんと口を開けたまま梵天丸の背中を見るが、振り向いた顔には屈託ない笑顔があって、世辞ではないようだ
温室育ちのこの少年が浪人に襲われれば、怯えると思いきや正反対のことを言ってきた
もう冒険心が強いのか、鈍感なのか分からない
「ま、お前のいがいな一面も見れたしな」
「う、あれは、藤次郎が捕まってたから強気に出たからで、いつもあんなんじゃないんだからね!」
「あやつらは前にも似たようなことがあったような口ぶりだったが?」
「そ、それは・・・」
窮地に陥っていたのに、そこまで気が回っていたかと、彼女は顔を赤くする
「で礼なんだが」
そそくさと戻ってきた彼は、半ば乱暴に小さな小箱を押し付けてきた
「そんな、気ぃ使わないでよ!」
「父様のおしかりを受けると分かっていながら連れてきてくれたんだから、とうぜんのことだろう」
俯いてぼそぼそと呟き、終いには足下の石をいじりだしてしまった梵天丸がなんだか微笑ましく感じてしまい、小箱を開けてみた
中に入っていたのは髪留めで、円筒にくり抜かれた木には金が塗られているが、それ以外に目立った装飾はない
表面には光沢があり、日光がそれを強調していた
髪留めを見た途端驚いたは、小箱を取り落としそうになった
自然に口調が元に戻る
「わ、若様、こんな高価なものは頂けません!」
「それが欲しかったんだろ?それに使いどころのない金をもっていてもしょうがない」
どうやら有り金全てを使ってしまったらしい
はため息をついて、眉間を押さえた。旦那様、浪費ぐせがついたらあたしのせいです、ごめんなさい
彼女は使いを頼まれると、ある漆屋に寄るのが習慣になっている
いつもは店に上がらせてもらうのだが、梵天丸もいるということでほとんど素通りだった
そこで店先にあったのが、この髪飾りだ
ほんの少しだけ止まっただけだ。確かにそれだけを見ていが、まさかそこまで分かるとは
腕を後ろに組んで梵天丸はにべもなく言ったが、次に聞こえた言葉は残念そうだった
「それとも迷惑だったか?」
きっとさっき見失ったときに買ったのだろう
四苦八苦しながら買う梵天丸の姿が目に浮かぶ
「いいえ!有り難く頂戴したします!」
そのあと米沢城にて、どこに行っていたと怒られる二人の姿があった
<あとがき>
二人でお使い編!なんだかんだ言って超楽しかったです
はこれまで二三度同じやつらと同じこと繰り返してます。不毛すぎです
さっさと大人になったところを書きたいです。けど政宗様人生最大の山を書けてないので無理ですね!